新潟の渓でそうめんを喰らう

山歩家i

2019年06月13日 13:36

今回は山行記ではなく、釣行記である。 

もともと私は山歩きより渓流釣りを本職(っていうのか?)にしていたということもあって、山歩きメインのいまでも、年に数回は気のあった釣り仲間とテンカラ釣行を楽しんでいる。



今回同行して頂けるのは新潟在住のテンカラ師である爺似さん。 

10数Kgのザックを担いで単独で源流に分け入り野営をしながら釣り歩く猛者である。
しかも、毛鈎を巻いては水中で毛鈎がどう見えるかを風呂の中で実験していたというテンカラ師の鑑のような釣り師だ。

はじめて一緒に釣行したのは10数年も前であるが、最近はお互いに別の趣味が忙しくなってしまい、なかなか一緒に釣りに行くヒマがなかった。
私の記録をめくると、爺似さんとは2014年に一緒に釣行して以来5年ぶりである。



今回の渓はちょうど10年前に連れて行ってもらったことのある新潟の山奥の支流。
場所は伏せておくが、ネットで見ると、釣行記よりも沢屋さんの記事が多い渓なので、どういう渓相かは推して知るべしということでご理解頂きたい。

私もそうだが、渓流の風景を見ただけでも行き慣れている釣り人にはどこの渓かわかってしまうものだ。このエントリーもできるだけ画像を控えめにするつもりだが、もし場所がわかってしまってもグッと心にしまっておいていただければ幸いである。



私も若い頃は少々のところならイケイケだったが、還暦のジジイとなったいまは超安楽指向である。そんな軟弱者をあの奥深い渓は今でも温かく迎えてくれるだろうか。



前日の夜から前乗りして、道の駅で車中泊、翌朝、爺似さんの車で山中へ向かう。 
お天気は曇り、暑からず寒からず。 水量は平水、水温は11℃。

私にとっては今季の初釣行である。 はやる気持ちを抑え、竿を振る。 
テンカラを始めたばかりの頃、禁漁期明けの初釣行の時は振り込みのコツを思い出すところから始めなければならなかったが、二十数年も経験を積むとそのコツもしっかりと体が覚えている。無意識に竿を降っても毛鈎は思い通りのポイントへすっと落ちる。



それなのに、イワナの反応がない(涙) 

そうなのだ、毛鈎の振り込みは完璧なのに、魚の気持ちだけはいまだに読めない。
何年経ってもヘボはヘボってことだね。

そうこうしているうちに、泡の切れ目の深場から黒い影が毛鈎めがけて走るのが見えた。
アワセるとガツンと魚の重みが伝わる。何度味わっても良い感触だ。
抜きあげてみると、少々やせ気味で錆びたイワナだった。 


29cmで尺には届かず。 でも満足だ。

緑の濃い渓は段差も多く、時には多段の見事なナメ滝などの風景も見せてくれる。

爺似さんは調子よくイワナを釣り上げている。さすがは猛者だ。 というか、仙人のようなオーラさえ感じられる。



私もその後、良型を何尾か追加した。


夢中で釣っていると時を忘れてしまう。 4時間ほど釣り登ったところで昼食。
もちろん「そうめにすと倶楽部」メンバーとしてはそうめんははずせない。


爺似さんが大きなコッフェルとそうめんを背負ってきてくれていた。


それどころか、渓でネギを刻み生姜をおろすという本格的な凝りよう。
さすがは猛者であり仙人だけのことはある。


ゆであがったそうめんを渓の冷たい水で豪快にしめる。 
まさかタモもこんな使い方をされるとは思いもしなかっただろう( ´艸`)


大胆にすする。 これぞ渓で食べるそうめんの醍醐味だ。
これが食べたいために釣行していると言っても過言ではない。

昼食を食べている間に曇り空から雨がポツリポツリと降り出してきた。
雲も黒い。 午後からもう少しイワナと遊ぼうと思っていたが、もうこれで十分。
還暦のジジイに無理は禁物だ。 ここで納竿。 渓をくだる。

新潟の渓は温かく迎えてくれるだろうかなどと、やや感傷チックに書いてしまったが、「温かく」とか「冷たく」なんていう表現はあまりに即物的すぎると思ってしまうほど、懐かしの渓は懐深く、あるがままの姿で私たちを迎え、そして遊ばせてくれた。 

良型のイワナが相手をしてくれたし、美味しいそうめんも食べられたし、今回の釣行は言うこと無し。大満足である。




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