クロモジの深い話
クロモジの木。
里山を歩いているとよく目にするポピュラーな木だ。爽やかな芳香を持つため古くから楊枝や箸などに用いられてきたことはみなさんもよくご存じのことと思う。
しかし、それを実際に使ったことがある方はどれくらいおられるだろう。もしかすると、今の時代、そんなものを使っているのは私らのような茶数寄くらいかも知れない。
さて、なんでも値上げのご時世であるが、このクロモジの楊枝や箸もその例に漏れない。需要が少ないのだからしょうがないのかも知れないが、一昔前からみると倍近い値段だ。
これらは本来 使い捨てが基本なのだが、貧乏性が身に染みついている私のようなシミッタレからすると、こうもお高くなるとおいそれとは捨てられない


なんか辛気くさい話になったので、もうすこし高尚な茶の話を。
茶事(茶席)に招かれると、懐石という食事をしたあとにお菓子を食べるのだが、そのときにクロモジの楊枝が一人ひとりに出される。 先述の通り使い捨てなので客は食べ終わるとその楊枝を自分で処分すべく持ち帰るのが作法となっている。
よく人との出会いは一期一会といわれるが、茶席の道具もまたそのとき限りの出会いである。茶席をあとにすれば客には思い出しか残らない。そういった意味では、クロモジだけが目に見える形で客が残しておける唯一のものだ。
だから真の茶人は、クロモジの楊枝を持ち帰ったら、捨てるなどということをせず、その席に招かれた記念として日付や場所などをクロモジに記し大切に手もとにとっておくのである。
たかが楊枝とはいえ、されど楊枝。
茶の世界ではクロモジひとつにもそういう隠れた大事な役目があるのだ。
私のように貧乏性で捨てられないという話とは全く次元の違う話である(汗)


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